-質の高いコミュニケーションを求めて-
塾の教育内容の質を決めるものは何でしょうか。話を広げて、学校など教育にかかわる組織の良し悪しを決めるのは何でしょうか。校舎や設備の立派さ? 確かにそれも大切ですが、それだけで教育内容が良くなるわけではありません。規模の大きさ? 生徒数が多い大規模な学校が良い学校とは限りません。
コミュニケーションの質が決定的に大事
私たちは教育にかかわる組織の良し悪しを決めるのは、生徒と教師との勉強を通してのコミュニケーションの質だと考えています。人間は機械ではないので、教えるべき知識を一般的に説明して問題をやらせる…というだけではうまくいきません。生徒の学力を伸ばすためにポイントをしぼり込んでわかりやすく教える。生徒それぞれの勉強のコンディションを気にかけ、良い雰囲気の勉強の場を作ろうとする。その過程で、教師の熱意が生徒に伝わるかどうか、それが決定的に大きいと思います。教師側の熱意が伝わると生徒のヤル気がだんだん引き出されてきます。雨風がひどくて通塾が大変な日に生徒が皆休まず来てくれたりすると、教師もいっそうヤル気になります。このような意味での生徒と教師とのコミュニケーションの質が決定的に大事です。
よい雰囲気の授業、学習空間とは
では、よい雰囲気を作り、結果として生徒の学力を高めることができるコミュニケーションの質とはどのようなものでしょうか。その質を高めるためには具体的にどうすればよいのでしょうか。 そのために教師の側に要求されるのは、ある種の想像力ではないかと思います。コミュニケーションというとあいさつとか、気軽に色々なことを話したりとかが考えられます。たしかにそういうことも大切ですが、しかし、ここで問題なのは学習する場面でのコミュニケーションです。 人間が頭の中で何を考えているか直接は見えませんから教師はA君はここが分かっていないのではないか、B子さんは、こういう勘違いをしているのではないかと想像力を働かせ発問します。すると案の定その通りだったり、C君のつまずきはもっと根深いことが分かったりします。すると教師は、そのポイントを何とかできるようにしようと工夫します。 生徒の側では、このような想像力はあまり必要ないかもしれません。コミュニケーションの質を高めるために、生徒の側に要求されることは、先生の話をよく聞いて(ここが大事。目を開いたまま眠ってはいけない!)、分かったか分からなかったかはっきりさせるだけです。よく分かったとかこの部分があやふやだとか、最初から最後まで全然わからなかったとかを教師にはっきり伝えるだけです(要するにわかったふりをしないということです)。 というわけで、教師自身の教科の内容についての深い知識は必要不可欠ですが、それだけでは十分でありません。何よりも重要なのは、上のような学習の現場でのコミュニケーションの質を高めようという努力です。こうしてコミュニケーションの質がよくなるとたんになれなれしいのではない、緊張感のあるよい雰囲気の学習空間が作られていきます。 よい授業とは、一方向的な説明だけでは成り立たないということはあたり前といえばそうなのですが、そういう普通のことをきっちりやりきることはむずかしい。私たちはこのような意味で普通のことをしっかりやっていきたいと考えています。